たとえば自分が何かをどれだけ、いくつ失っても笑って誰かの幸福を喜んでしまえる単純さが亡き友に似ていたのかもしれないし、子供じみた感情を何も変わらない態度で受け止めてくれるのが亡き師に似ていたのかもしれない。当然のように絶対に疑わずに信じた母に似て、どんなに側にいても欲しいだけの距離を置く父にも似ていた。甘やかす唇と、甘えてくれる瞼と、受け止める視線と、預けてくれる肌の暖かさと、欲しい言葉をくれる声と、上手く出来なかった台詞まで残さず拾う小さな耳と、ひとつずつが大事になっていって、やがて全てが大切になる。
 目の前に広がるその光があまりに透明だったから、それが桃色だと気付くのに少しかかった。の後姿が去年と同じように綺麗で、オレは何も言わなかった。彼女は去年のことを覚えていて、結局話しかけずに行っちゃったね、と笑う。見蕩れていたなんて時代遅れの口説き文句にしか聞こえなくて、嘘でもないのに言う気が起きなかった。



「気付いてたんなら挨拶くらいすればいいでしょーが」
「うん…すれば良かったなぁ」
「…何考えてた?」
「今?」
「あの時」
「何も」
「何も?」
「綺麗でしょう、この景色」



 春の夕方、と言えばそれだけで綺麗な景色を想像するだろう。それで充分な表現だとして、透明な桃色の光が去年ほどは強くなく、彼女を染めるまでには至らない。丘の端は切り立った崖になっていて、忍者がおそれるほどではない。手を繋いで、そのギリギリまで進んだ。そこまで足元には春の野草が茂っていて、はイヌノフグリを踏まないように気をつけている。崖下には深い森が広がっていて、森の淵がつまり国境線だと考えていい。火の国の西端に、この小さな隠れ丘はあった。
 視線を上げれば美しいばかりの空だった。色を言葉に置き換えることを諦めて、ただ空気と雲が空に染まるのを見ていた。



「小さい頃から此処で色んなこと考えてたから、全部混ざっちゃったんだろうなぁ…まずきれいだなぁって思うでしょ、それから悲しいとか、嬉しいとか、悔しいとか、楽しいとか、切ないとか、そういうの全部ごちゃ混ぜになって、全部が相殺されて、最後には何もなくなっちゃう」
「……だからかね」
「ん?」
「横顔がね…目に夕日だけ映ってて、何もなかった」
「今も?」
「いや……」
「うん、今はちょっとだけ、嬉しい」



 あの横顔が忘れられない。繋いだ手がほどけてしまわないように強く握った。こっちを見てくれ、と強く願う。口に出せる度胸がなくて自分に呆れた。人と争うこと以外で、オレに度胸があったことなんてあっただろうか。まるで足掻くような恋だ。なめらかにこなせていた何かを、あの春この森のどこかに落としてきた。ギィギィと耳を塞ぎたくなるような軋みを上げて、それでもを離せない。はいつもこんな子供みたいな我儘を、抱きしめるみたいに受け止める。いつもみたいに、こっちを見てくれと強く願う。



…」
「…あれ?私、カカシが震えてるのかと思ってたよぅ。そんなに強く握るから…」
「オレのせい?」
「ううん、違うと思う…イヤ、どうだろ?バランスが崩れてるんだねぇ、きっと…」



 風が強くなってきていた。足元から地鳴りのような音を立てて、春にしては温い風が吹き上がってくる。風上に雷雲。春の嵐が近いのだ。彼女の顔に視線を戻し、涙を拭ってやる。照れくさそうに微笑う柔らかな笑顔に僅かに安堵する。彼女はいつも不安よりも多くの安堵をくれた。夕日の光が、濡れた彼女の睫毛でキラキラと爆ぜる。布越しに口付ける。ゆっくりと開いた瞼の下で、あの時の瞳がオレを見ていた。その目には何も映っていなかった。だからといって穴でもなく、闇でもなく、虚でもなく
たとえるなら まるで空



「きっと私は、此処で産まれた………」



 その言葉の意味を、オレはまだ知らない。
 それが、二度目の春。










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